東京オリンピックと風の時代と声
世は、東京オリンピック中ですが……正直私は、見ていません。
全てをかけて頑張っているアスリートには、もちろん感動しますが、それだけでもないのが、オリンピックのホントのところ。
風の時代らしく、今回のオリンピック開催前にも、利権に次ぐ利権、反オリンピックの勢力と、左の関係、そもそもオリンピックはオリンピア(300人委員会)なわけで、誰のお祭り?
なんて、色々と今までは伏せられてきて、影や闇に隠れていたことが、露呈してきました。
平和の祭典…なんて、美しいパッケージング!
先進国と、発展途上国も一緒になって、聖なる火祭りをする。
なんて、美しく、清らかなんでしょう…。
ふーん…。
結局、メダルの数、メダルの色で、優劣つけて、支配者層どうしで、勝負し、誰がトップになるかチェスゲームやっているだけなんじゃないかなあ…。
予算組んで、科学的根拠に基づいてトレーニングできない、途上国とは、始める前から…ねぇ…。
平和の祭典という名の、彼らの聖戦ですよねぇ。
なんて、声が降ってくるわけです。
私はアスリート、好きです。
真剣な顔、頑張っている姿にパワーを何度ももらって、勇気ややる気を貰います。
私は運動もあまり得意ではないので、あんなに体をコントロールできる彼らは、素敵だし、素晴らしい!
キラキラして見えます。
みんなが何かに夢中になったり、大勢が一つに注目し、熱狂している時、私は、すぅ…と頭も身体も引いていきます。
本当にそれでいいのか?
そこで合っているか?
そんな声が聞こえてきます。
そして、その場から居なくなります。
きっと、夢中になっている人、熱狂している人から私は、見えないでしょう。
波動のことを、日本人はわかりやすく、「気配」と言いました。
夢中になる彼らには、私の気配などわからない、つまり消えているのです。
他人と同じことをしていても、仕方ない。
皆が何かに煽動されている時こそ、誰でもない誰かになるチャンス。
皆と違う事をやるチャンス。
ブームに乗れない自分を疑うのではなく、誰でもない自分になるチャンス。
そんなふうに時間を使ってみるのも、いいものですよ。